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卒業生は今

 

 

昭和40年卒業、宮元文夫です。


私は転勤に伴い1991年から2011年迄の約20年アメリカ ニュージャ-ジ-州プリンストンに駐在しました。1993年9月 日本からテニス仲間である2組の夫婦が拙宅に遊びに来た折に遭遇したハプニングの話です。 
私の住んでいたプリンストンはアイビーリ-グのひとつプリンストン大学を中心にした歴史のある街です。プリンストン大学は,ハ-バ-ド大学に比肩する教育レベルで知られ学生数6千人に対し教職員数が1万2千人。年間授業料が5万ドル~6万ドルで金持ちの子女が多くを占めている。

 

さて友人たちとの旅の話
東部に来れば先ずはニュ-ヨーク マンハッタン。拙宅最寄りのプリンストンジャンクション駅からマンハッタンペンステーションまで約一時間の列車の旅。定番のコースを特にハプニングもなく駆け足で回る。
翌日はボストンまでの約500マイルを8時間かけてドライブ。ボストンは17世紀イングランドから新天地を求めやって来たピユーリタンが到着した町で歴史ある古色蒼然とした街並みが残る。ダウンタウンのスイスホテルに入り早めの夕食を摂りそれぞれの部屋で休んでいると深夜けたたましく火災報知機が鳴り響く。フロントに電話するが不通で状況が掴めず部屋着のまま廊下に飛び出す。

部屋は10階取敢えずエレベータ-に乗ってみるが動かない。非常階段を探し出し部屋着のままで1階まで降りるとホテルの前に大型消防車が所せましと並んでいる光景に驚愕した。何事かとフロントで訊いた所火災報知機の誤作動らしいことが分かった。古いホテルなので時々こういう事がおこるらしいが実際の火事ではなかったことに安堵したものの 心細い思いをしているであろう友人たちを心配していたところへ友人夫婦は服を着替え 旅行カバンを転がして特段慌てた様子もなく非常階段を下りてきた。誤作動だから良かったものの本当の火事であったらどんな事になっていたか。後に2組に厳重注意したことは言うまでもない。
寝不足状態で翌朝ホテルをチェックアウトしたが通常この様な場合泊り客は宿泊費の支払いを拒否出来ることが後日解った。当然のごとくホテル側からの申し出はなく客側から指摘しないと支払い不要にはならない。これを例にとってもアメリカという国はきっちり自己主張をしなければいけないということを学習する貴重な体験となり後に色々な方面で大いに役立った。


ボストン2日目は中心部からロックポートという避暑地に足を伸ばした。海岸沿いの雰囲気のあるレストランを見つけ夕食を摂ることにし名物の大きなロブスターと先ずはビールをオ-ダ-した。がリカ-ライセンスがない為酒類は全く置いていないという。無類の酒好きのわが仲間に酒のない晩餐など考えられなかったがリカーショップはこの町にはないというので泣く泣く酒は諦めたがノンアルコールのカクテルを前にまるでお通夜のように暗い面持ちの面々が写真に残っている。これも後で分かったのだがアメリカでは1920年代の禁酒法の法律が残っており酒類販売のライセンスの取得が難しくライセンスのないレストランは酒類のサービスが出来ないこともアメリカに来て初めて知ったことだった。短い旅だったが日本では考えられないハプニング続きの忘れられない可笑しくて楽しい思い出となった。

 

    

N.Yエムパイヤ-ステイトビル/ボストン ハ-バ-ド大学/ロックポ-ト

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